刺青について①

本日も、希少な手仕事

スジからはじまる手彫りの世界へ

お越しくださいまして

ありがとうございます(*^▽^*)


ほとぼりが冷める頃に、次の事件が起きる。


事件をおこす犯人に施された入れ墨が

必ずクローズアップされる。


後付けして、悪いイメージ

植え付けてる。

入れ墨入れてるとか、いれてないとか

今に、始まったことじゃないんだけれど。


出る杭はうたれる。

陰でひっそり、彫っていた時代と違い

仕方がないと言えば

仕方のないことなのかもしれない。


表に出るには

海外みたいにライセンス

資格制度が必要になるだろう。


刺青を、ただのアートとて所有する人。

自分を高めるための道具として背負う人。


皮膚に刻んだ、ひとつのツール

ツールをどう使うかは

自分次第。


自分の人生に責任を負うのは自分。


人を脅すためでも

人を負かすためでもない。


この間、お客様と

謙虚に生きる練習。なんて話してました。


彼も

相当な勇気、必要やったと思います。


私も、家風呂壊れて

銭湯の隅っこで体洗ってたら

洗面器投げられたことあります。

黙って、片づけました。

投げた人と、同じになりたくなかったから。


投げられたことなんて、どうでもよくて

投げつけることが、どれだけ問題かって

気づく事が大事。


批判されても、しょうがない。


そう思ったのは

猫を可愛いと思わない人もいると知った時。

野良猫を遠目で見ただけで

嫌悪して騒いでいるご近所さんの姿に

こんなに可愛い猫でさえ、嫌悪される。


可愛いって思うのは

その人の感性であって、全ての人が

必ずしも、そう思うわけではない。


カッコいいの基準も同じ。

服も、髪型も、音楽なんかも

色んな趣味があって、個性がある。


社会からイジメが無くならないのと同じで

差別が無くならないのと同じで

少し人と違う感性の人間を

認められないもの、人間で。


人間って弱い生きものやから

足の引っ張り合いしてて。


社会って、そういうことも勉強する場

なんやろうから。

波に、もまれるってやつ。


もまれるお陰で

気づくことがたくさんあって


いろんな負の感情をこえる糧に出来たって

今、ようやく思える。


若い頃は刺青を、それこそ勢いで彫ったり

(結婚と同じ?(笑))

カッコいいからって、彫ったり。


私、彫師ですけど

安易に、彫らないでほしい。って、今は思ってます。

いつからか宣伝もしなくなって

ご紹介ばかりで、とどめるようになって。


お客様にね

後悔されるほど、辛いものはないですから。

そういう仕事を

自分がしていると思うと

辛くて仕方がない。


だから、幸せになる糧に

道具にしてやって欲しいんですよね。

何かがダメになった時の

言い訳にはしないで欲しい。


最初から

覚悟を決めて彫っている人って

少ないのだろうと思います。


結婚だって、最初から覚悟してる人なんて

少ないと思います。


その過程で、学んでいくわけですから。

ダメになった理由を

相手にばっかり押し付けていたら

大切なことに気が付けない。


だからこそね

どうやって生きてきたかではなく

これから、どう生きるかは

とっても大切だと思います。


「一水四見」

仏教で使われるたとえ。


同じ一つの水でも、

天人は宝のように輝ける池と見え、

人間は普通の水と見て、

餓鬼は膿血で充満した河と見え、

魚にとっては、住家と見て生活の場であり、


見る者によって

異なるという教え。


それを、どう使うかは

背負った人の自由意志にゆだねられる。

愛と感謝を込めて

合掌

魂を刻む場所

★愛と感謝☆ 手彫り・和彫りを信条とし 「魂の想い」を込める 刺青を彫りつづけてきた。 色とりどりの華が 自分らしく、咲き誇こることを願って。

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