つよさ

初めての体験。

行ってきましたぁ~💛

その時間は、咳も出ず(笑)


ず~~~っと昔から、CDよく聴いていた。

津軽三味線💛


稽古に見学に行って

音を生で聴いた瞬間、涙出てきて(笑)


これ、やろう。

って、思ったわ(笑)

私の魂。


なんで、そんな響くんかなぁ。

気になって、津軽三味線のこと調べてみたら


以下抜粋


津軽地方では、

ハンディキャップのある人は


女は「イタコ」「瞽女(ゴゼ)」

男は「坊さま」としての修業を積み

生きていくことを半ば運命づけられていた。


「イタコ」というのは

亡き人の言葉を伝えたり(口寄せ)

占い・予言を行うなど

特別な能力を持つ人(シャーマン)のこと。


実はイタコは心理カウンセラーの面が大きい。

気持ちを汲み取り話を聞くことによって

その心を和らげるのがイタコ信仰の本来の姿。


「瞽女」(ゴゼ)とは

目の不自由な女性の旅芸人。

いわば吟遊詩人。


これらの人々が

家々の門の前に立って行う

歌、踊り、三味線などの芸能

門つけを行い

物乞いをしながら、糧を得ていたことが


のちの

津軽三味線の創始に大きく影響している。


詳しくは

ラストにリンク貼っときましたぁ。


YouTubeでみた

最後といわれる、瞽女(ごぜ)さんの

お話が、すごすぎる。。。

人生いろいろだね。。。


そのいろいろが、声に顕れてる。

なんて、素敵な声なんやろう。。。


人柄もね💛

お天道様は、だませないんだよ(笑)

んでもって

弱い女なんて、いない(笑)

ただ、一生懸命

可愛くなろうとしてるのさっ💛


男の方が

繊細で、ガラスのハートで。。。

めんどくせーわっ(笑)


と、思えるおかげで

この仕事やってこれた気がする(笑)


それでもって、やっぱり

人は、愛おしかったりするわけよ💛


生きるって、色々あって

そういうことだからね。

(一人で納得?)


ほんと

いろんな事が感謝だねー💛


誰かの心のつまりが

弾き飛んでしまうぐらいの音を

三味線で、叩けるようになろうかなっ💛


すこぉ~しだけ、三味線に触らせてもらった。

ずっと触れていたいこの感覚💛


相棒みーけたっ💛


愛と感謝をこめて

合掌


tsugarushamisen

TOPページ     What's New     オリジナルCD販売     プロフィール     教室のご案内     津軽三味線のお話     リンク     お問い合わせTsugaru-shamisen津軽三味線のお話津軽三味線はどのように生まれ、どのような特徴を持っているのでしょうか?このページでは津軽三味線とはどんな音楽なのかをご紹介します。 津軽三味線の歴史   津軽三味線の始祖・神原の仁太坊    津軽三味線が生まれたのは、現在の青森県北津軽郡金木町、時代は明治初頭といわれています。津軽三味線の始祖、つまり演奏スタイルの基礎をつくったといわれているのは、神原の仁太坊(にたぼう:本名・秋元仁太郎/安政4年~昭和3年)という人です。  当時、津軽地方では、門付けを行う男盲の芸人を「坊さま」(ボサマ)と呼んでいました。「門付け」(カドヅケ)とは、家々の門の前に立って行う芸能のこと。三味線を弾いたり、唄ったりして、その報酬として、お金や食料(米など)をもらうもので、門ごとに神が訪れて祝福を与えたという民俗信仰から生まれたともいわれています。    仁太坊は、8歳の時、当時流行っていた天然痘で失明してしまいます。東北や越後などの寒冷地は厳しい自然環境の中で作物の実りも悪く、貧困や住環境の悪さなどから、生まれながらにして、あるいは仁太郎のように幼くして目や身体の不自由な人も多かったようです。  階級差別が残る中、そもそも貧しいことに加え、さらにハンディキャップがあるこれらの人々は、津軽地方では、女は「イタコ」、男は「坊さま」としての修業を積み生きていくことを半ば運命づけられました。坊さまは生き延びて行くための手段として、唄や踊り、三味線などの芸事を身につけて人々に聞かせ、門付けの物乞いをする事で日々の糧を稼ぐしかなかったのです。   坊さま、イタコ、瞽女を起源とする津軽三味線    話はそれますが、「イタコ」というのは、亡き人の言葉を伝えたり(口寄せ)、占い・予言を行うなど特別な能力を持つ人(シャーマン)のことです。しかし、実はイタコは霊能者という表向きをとっていますが、実際は心理カウ

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魂を刻む場所

★愛と感謝☆ 手彫り・和彫りを信条とし 「魂の想い」を込める 刺青を彫りつづけてきた。 色とりどりの華が 自分らしく、咲き誇こることを願って。

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