墨色。♮3

主婦から刺青師へ


私が最初に、刺青に興味を持ったのは、二十八歳の時。それまで、自分が彫りたいとも思わなかったし、目にする機会もなかった。それが当時の夫が彫りたいと言うのをきっかけに、私も体に絵を刻むというその不思議な過程を経験してみたいと思ったのだ。


夫の知り合いというマシーン彫り(機械を使って刺青を彫ること)の彫師の方に、左肩に小さな青い蝶々を彫ってもらうことになった。


後になって自分で見ることが出来る場所に彫ってもらえば良かったと少し残念に思う記憶が残っている。


彫られている間は、皮膚が燃えるように熱く、ただただ、痛いだけだった。実際に二時間ほどで終ったのだが、すごく長く感じられた。少々耳障りなマシーンの音が、その間中鳴り響いていた。


そして、最後に鏡で出来上がった作品を見た瞬間、人の皮膚に施された作品に感動したと同時に、その彫られていく過程に、ものすごく興味がわいてきたのだった。 


その小さな蝶々のタトゥーは、シールを貼り付けたように、すごく綺麗に彫られてあった。そして作品も体になじんだ数日後、私は彫師になる。理由なんてなかった。ただ、そう思ったのだ。


これが、私が彫師になろうと思ったきっかけである。直感というか、導きと言えば大げさだけれど、何の迷いもなく抵抗もなく、こんなにシンプルになりたいものに出逢ったのは、この時が初めてだったように思う。


そしてすぐさま、インターネットで検索し、どういうスタジオがあるのか調べ始めた。

私の目に留まったのは、ファッション感覚でタトゥーを彫るスタジオではなく、何かこう、心の世界と、刺青をつなげて仕事をしているようなちょっと怪しげな(笑)スタジオや、中世の書にある護符、お守りやシンボルといった、刺青に意味をもたせて彫っているスタジオばかりだった。


その中でも、Japanese Styleという、「和彫り」※刺青全体をタトゥーと呼ぶが、ワンポイント(小さな図柄)や、ポートレート(似顔絵など、そっくりに表現する図柄)や、トライバル(サモア・ポリネシアなどの部族が使用していた伝統的な図柄)など、多種多様なジャンル分けされたスタイルがあり、タトゥーの中で区別するために、日本の伝統的な図柄のことを和彫りと呼ぶ。の作品に惹かれ、遠方にあるスタジオに電話をかけた。


弟子志願を申し出ると、やる気があるなら遠方からでもいいと、OKをもらったが、私には当時家庭があり、まだ幼い子供がいたので、しぶしぶ断念した。


その後、最初に彫ってもらった蝶々の周りに何かを付け足そうと、後に育ての父と慕う恩師・彫豊(以後、彫豊と呼ばせていただく)を訪ねた。ちょうどネット社会で、タトゥースタジオも広まり始めた頃だったが、今よりもまだ、タトゥーというものがファッション感覚で取り入れられている時代ではなかった。更に、タトゥーと言うよりは、昔ながらの日本の伝統といった作風をかもし出すそのスタジオに、一人で足を踏み入れることに、何ら抵抗を感じなかったのには、今思えば不思議な話である。

魂を刻む場所

★愛と感謝☆ 手彫り・和彫りを信条とし 「魂の想い」を込める 刺青を彫りつづけてきた。 色とりどりの華が 自分らしく、咲き誇こることを願って。

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